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2005/12/21 掲載 「雪道で思う-生徒をどれだけ愛したのかな-朝日新聞秋田版朝刊」

 「先生、おはよう。迎えに来たよ」。毎朝7時40分ごろ、男子生徒が僕を迎えに来ます。昨年5月から、その生徒と一緒に学校へ通っています。 

 冬を迎え、路面は雪が積もり凍結しています。僕は、徒歩と電動車いすを使い分けながら通勤しています。主に車いすですが、路面状況によって通勤手段を変えます。新雪、粉雪、路面凍結の日は、車いすを選びます。そちらの方が、滑って転倒することは少ないからです。 

 水分を多く含んでいるぬれ雪や車のわだちがある日は歩きます。なぜなら、車いすは、雪に埋まりやすいからです。一度埋まれば、脱出に一苦労。思いきりモーターをふかしながら、足で路面をけって脱出を試みます。一度で脱出できれば幸運です。 

 このごろ毎朝、「先生、今日は車いすで行っても大丈夫だよ」「今日は、道がぬかるんでいるから、歩いていこうよ」と、その男子生徒が路面の様子を教えてくれます。とても感謝しています。 

 特に徒歩通勤の場合、神経を足元に集中させます。転倒しても平気だった子どもの頃と違い、滑って転ぶことに恐怖心を感じます。僕の気持ちを察してか、滑りやすそうなところで手を添えてくれます。そんな気配りに触れると、心はポカポカと温かくなります。 

 別の日、近くの歯医者に行く途中、車いすが雪に埋まりました。そこに、下校途中の生徒が通りがかりました。もがく様子を見て、生徒は車いすのハンドルを後方に引っ張ってくれました。一度引っ張っても抜け出せず、何度も引っ張ってくれました。 

 埋まった場所は、国道沿いの横断歩道。歩道から車道に移るところで、雪の塊がありました。助けてくれた生徒に「これが僕。手伝ってくれてありがとう」。 

 すると「先生、私たちがいなかったら、どうしたんですか」。生徒の一人が尋ねてきました。「何度も脱出を試み、一人で無理なら通行人に助けを求めます。声をかけてくれる人もいるよ」と答えました。 

 今年の世相を表す漢字は「愛」。ふと僕は「今年、どれくらい生徒を愛しただろうか」と自問しました。 

 他人を愛する前に、まず自分を愛する。自分を愛さず、自分を大切にできない人は、他人を愛したり、大切にしたりできない−。僕はそう思います。 

 思春期の生徒たちの心は、葛藤で揺れ動いています。他人と比べ、自分の至らない部分を短所と感じ、気にしている生徒も少なくはずです。僕も中学生のころ、「なぜ、自分は障害を持って生まれたのか。障害がなければよかったのに」と否定的に考えていました。 

 そのたびに、教師を含め周囲の大人たちは「ありのままの君でいい。できないこともあるが、できることもあるよ」と励ましてくれました。 

 「脳性マヒの三戸」。僕の存在が認められたようで、自分が好きになってきました。障害とも、上手に付き合えるようになりました。だから、雪道で電動車いすが埋まることは「想定内」のことなのです。しんどいことですが…。 

 今教師として、どれだけ生徒に、自己肯定感を与えることができているのか。年末年始、「愛」をキーワードにゆっくりと考えてみたいと思います。



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