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2006/01/25 掲載 「韓国研修旅行−「ありがとう」に見た温かさ−朝日新聞朝刊秋田版」

 今月9日。僕は、韓国・仁川空港に降り立ちました。秋田空港から2時間半。厚手のセーターとニット帽を用意し、飛行機に乗り込みました。でも到着すると、辺りに雪がありません。「温かいところに来たな」。そう感じましたが、錯覚でした。この日の韓国の最高気温は3度、最低気温はマイナス7度でした。 

 初めての韓国は、研修旅行で訪れました。県教職員組合主催で、9日〜12日の3泊4日。参加者は僕を含めて男4人でした。ソウル市内の西大門刑務所歴史館や安重根記念館などの見学のほか、イムジン河を越えて、その帰路、烏頭山統一展望台も訪問しました。 

 仁川空港から高速道路に乗り、約1時間でソウル市内に到着。まずは腹ごしらえをと、食堂で本場の海鮮鍋やキムチ、チヂミを堪能しました。 

 韓国の食事は、スプーンが基本。器をお膳に置き、スプーンを口元に寄せて食事をします。はしは取り皿におかずを盛り付けるときに使います。 

 「郷に入ったら、郷に従え」。韓国の食文化を試みようとしましたが、脳性マヒの障害のため、思うように手を動かすことが難しく、スプーンを口元に持ってくる前にボロボロとこぼれました。見かねた店員さんは、日本語で「食べやすいように、どうぞ」。その一言で、気が楽になりました。 

 今回の研修で、一番感じたのは韓国人の温かさでした。「戦後60年を経て、過去は過去として新しい人間関係を築いていこう」。韓国に行く前、戦争を知らない僕は、そんな意識でした。 

 しかし、韓国の人々に行った行為の一端に触れることで、日本人としての痛みを感じました。過去は消えるものでなく、事実を受け止めながら、韓国との関係を築いていくべきだと思いました。 

 水が凍り、流氷が見られたイムジン河。昔は鉄橋がかかり、ソウルから北朝鮮へ線路が延びていたそうです。しかし、朝鮮戦争で鉄道は分断。00年、南北首脳会談後、復旧されました。韓国側最北端の都羅山駅は、韓国軍が警備をしていて物々しい雰囲気。 

 そんな中、駅の待合室にあった大きな看板が目に留まりました。南北を結ぶイメージ図とともに「21世紀の早い時期に、祖国統一を目指そう」。過去の歴史を乗り越えて、未来を志向する韓国人の願いが伝わってきました。「日本人の未来って、何だろう」。看板を眺めながら、ちょっとスケールの大きなことを考えてしまいました。 

 列車に乗るとき、僕の行く手を3段のステップが阻みました。そこで手をさしのべたのは、若い女性の兵隊さん。車いすを持ち上げてくれたのは、男性の兵隊さんでした。その気配りに心が打たれました。 

 4日間、ソウル市内を中心に散策。バリアフリーなところやそうでないところも目に付きました。でも物理的な段差はあっても、精神的な苦痛を感じませんでした。 

 なぜなら、韓国は「ミアナムニダ(すみません)」と声を掛ける前に、「カムサハムニダ(ありがとう)」」から始まる人間関係だったからです。 

 日本では、人に助けを求めるとき、「ありがとう」の前に、「すみません」と言って呼び止めます。立ち止まる人もいれば、素通りする人もいます。でも韓国は、向こうから近寄ってきて、気軽に声を掛け、笑顔で助けてくれました。気づいたら、たくさん「カムサハムニダ」と言っていました。 

 帰国翌日から、冬休み明けの学校がスタート。韓国訪問で、様々な文化や考え方・価値観に触れ、自分の視野が少しだけ広くなったような気がします。



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