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2004/10/27 掲載 「障害児と学校−可能性広げる自由な選択を−朝日新聞秋田版朝刊」

先日、東京都文京区で「原則統合連続学習会」があり、講師として行ってきました。『原則統合』とは、健常児も障害児も基本的に同じ学校で学ぼうとする教育理念です。読者のみなさんはご存じないかもしれませんが、障害児は小学校へ入学するときに、地域の公立小学校か養護学校を選択します。子どもや両親が養護学校で学びたい希望があればよいのですが、多くの場合は地域の小学校で学びたい希望があるのにもかかわらず養護学校へ通学しているのが現状です。 

 ただし、僕が小学校に入学した頃に比べて「ボランティア」「バリアフリー」という言葉が一般に浸透し、社会が少しずつ変化しています。最近では障害児が希望する学校に通学できるようになりつつあります。 

 20年前、母は生まれつき脳性マヒである僕の入学先で悩んだそうです。就学前に、母は地元の秋田市立日新小、旭南小の障害児学級、県立秋田養護学校、秋田大教育学部付属養護学校、障害児入所施設「桐ケ丘療護園」の5カ所を見学したそうです。この話を聞いたとき、「健常児は地域の小学校に通学できるのに、どうして障害児は様々な教育機関から選ばなくてはならないのだろう」と素朴な疑問を抱きました。そして、このことこそが健常児と障害児の違いなのだろうと思いました。 

 母は地域の小学校が一番よいと考えました。僕は覚えてないけれども、母に「幼稚園の友達とこれからもずっと遊びたい」と言ったらしいです。今、僕が自分らしく満足のいく生き方ができていることを考えると、6歳の選択は間違いではなかったと確信しています。体育の時間に走ることが遅いから見学を勧められたり、音楽の時間に「三戸君の歌は聞かなくても分かる」と歌のテストを受けさせてもらえなかったり…星の数ほど悔しい思いを経験してきました。しかし、それ以上にごくごく自然な共有感を体験してきました。 

 よく「なぜ、運動会を走りたいの?」と先生は聞いてきました。僕は「ビリでもよいから走りたい。みんなと一緒に”走った”事実を共有したい」と応えていました。運動会が終わって、クラスメートと「疲れたね」と言い合い、一緒に笑ってきました。そして、今でも続く友だちを得ることができました。 

 この夏、米国アーカンソー州へ研修に行きました。現地の中学校を訪問して、米国人教師に聞くと、「学校はすべての子どもが生活しやすい建物でなければなりません。アメリカは健常児と障害児が共に学ぶインクルーシヴ(包括的)な教育をやっています。ただ、本人が希望した場合に限り、障害児学級で教育を受けることができます」と説明してくれました。 

 障害者のほとんどは高校を卒業すると社会に出ます。18歳を過ぎてから「健常者も障害者も共に生きていこう」と唱えられても、一番多感な時期を一緒に過ごしていなければ、具体的に分からないと思います。 

 どの子も無限な可能性を持っています。その可能性を最大限引き出すために、障害児は養護学校へという短絡的な発想でなく、本人が希望する学校で楽しく学校生活を送ることができるように、尽力していきたいと考えています。



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