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2004/10/13 掲載 「生徒会の演説会−自分の考え堂々発表に感銘−朝日新聞秋田版朝刊」

 8日に、前学期の終業式がありました。4日間の秋休みを経て、13日から後学期が始まります。気持ちを切り替え、今年度の残り半年間を充実した学校生活にしていきたいものです。 

 この時期、学校の生徒会組織の主役は3年生から2年生にバトンタッチされます。先日、生徒会長と副会長・書記長を決める立会演説会がありました。候補者たちは「伝統を引き継ぎ、より良い西中にしていきたい」と、それぞれ自分の言葉で熱い演説をしました。その演説を聞いた生徒たちの投票で生徒会役員が選ばれます。当選した生徒はもとより落選した生徒も自分の考えを聴衆の前で堂々と述べたことは、賭け値なしの金メダルです。また、候補者の応援演説をしてくれた生徒にも金メダルをあげたい。人を応援することは、その人のよさを知ること。思春期の心が揺れ動く時期に、友だちのよさを見つめて、それを聴衆の前で演説できることは能力の一つだと思います。 

 自分の考えを堂々と言うことができる生徒がまぶしく見えます。僕は常に「自分の考えを自分の言葉で言うことができる人になろう」と生徒に呼びかけています。授業中も発表を大切にします。数学の授業では、問題に対する自分の答えが合っていたかだけでなく、どのような考え方でその答えを出したのかを説明できて本物の力となります。 

 生まれつき障害を持っている僕は、一つひとつの行為に自分の意思をはっきりと伝える必要があります。階段の上り下りも、「2階に行きたいので、肩を貸してくれませんか」と人に伝えない限り、2階に行くことができないのです。シンドイなぁと思う半面、その姿勢が僕の生きる世界を広げてきました。そのことを初めて実感できたのは親元を離れて過ごした4年間の大学生活でした。 

 高校生までは家族に頼んでいましたが、一人暮らしだと家には誰もいません。頼める人はキャンパスの中にしかいませんでした。僕は同じ講義で隣に座った人などに「つめを切ってくれませんか?」と頼みました。断る人もいれば、快く切ってくれる人もいました。千差万別です。「提出書類を代筆してくれませんか」と面倒なことも頼みました。それでも、気が付くと頼みにできる人が周りにいました。障害は不便ですが、障害を持って生きることはまんざらでもないなぁと実感しました。 

 このような経験を元に「自分の考えを堂々と言うことができる人は、それだけ自分の世界が広がっていくよ。かっこいいと思うよ」と生徒に話しています。「先生は自分のことをかっこいいと思うの?」と言う生徒に「ウン」とうなずいています。これは、自分の価値観の押し付けでしょうか。自分の教育方針が間違っているのでしょうか。ときどき、悩みます。



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