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2004/05/19 掲載 「引っ越し−学区内に住み地域と交流−朝日新聞秋田版朝刊 」

 秋田西中へ転勤が決まったとき、今回も「学区内に住みたい」と思いました。その理由は二つあります。一つは、秋田西中は前任校の土崎中とは南と北の位置関係で、とても引っ越さずに電動車いすで通勤することは困難であること。もう一つは、何よりも前任校で学区内に住んだ経験からでした。 

 前任校にいたころ、近くのスーパーに行くと、店員や生徒の保護者から「先生、今日は何を食べるのですか」と聞かれました。電動車いすで通りにくい場所があると、周りの品物を寄せて通りやすくしてくれました。また、JRの駅で職員に抱えられて階段を上り下りしていると、「ここは、バリアフリーでないものね」と気軽に声をかけてくれました。そして、何よりも生徒が道端で会うと「先生」と気軽に声をかけてくれました。生活空間を一緒にすることで、生徒・保護者・地域の方々と気軽に接することができました。地域理解・生徒理解につながりました。 

 近くに母が住んでいますが、今回、母は「あなたの好きにしなさい」と一言。早速、僕はアパート探しを始めました。3年前、前任校の学区内でアパートを探したことを思い出しました。何件か不動産屋を回りましたが、なかなか物件を紹介してくれませんでした。 

 僕の条件は(1)1階の部屋で、部屋に段差がないこと(2)浴槽の高さが50センチ未満(3)電動車いすを置くスペースがあること(4)部屋は二部屋、家賃は6万円前後。この条件を言うと、不動産屋の方はだんだんと顔を曇らせていきました。「どうして、一人暮らしをするの」「母さんと一緒に生活しないの」「火事が起こったら、どうするの」 

 障害者は危ない−−。たぶんこんなイメージで障害者をとらえていたのでしょう。アパート探しは結構大変で、精神的にへこみました。 

 今回は前回の経験を生かして、知人の紹介の不動産屋に頼みました。担当者は親身になって、僕の新居を探してくれました。不動産屋の段階で断られていた前回は、なかなか大家さんと話し合うまでいきませんでしたが、今回はすんなりでした。玄関や風呂に手すりを付けるなど、僕が住みやすいようにリフォームして良いとのこと。 

 引っ越しは、小学校時代からの友だちが手伝ってくれました。やはり「持つべきものは友」でした。



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