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2003/06/25 掲載 「地震−生徒の会話に思いやる心−朝日新聞秋田版朝刊」

僕が小学校1年生だった20年前のこと。給食の時、大きな揺れが起きました。急いで机の下に潜りましたが、おかずが散らかりました。揺れが収まり、障害のある僕は担任の先生におぶってもらい外に避難。亀裂が入ったグラウンドを今でも鮮明に覚えています。 

 それから20年後の同じ5月26日。僕は職員室で授業に使うプリントを作っていました。「揺れている?」。先生の声で「地震だ」と感じました。教師になって、初めての地震でした。 

 夕方6時過ぎだったので部活動の生徒しか残っていませんでしたが、職員室にいた先生たちが対応しました。今の僕の課題は、地震のような場面でも周りの先生の動きを見ながら自分ができることを見つけること。「地震がもし授業中に起こったら」と考えました。 

「1階の教室だったらいいけど、2、3階となると……」。教師を目指したいと言った時、「君はどのようにして、生徒の安全を守るのか」と緊急時の対応を問われました。「そんなこと言われても」と返答に困りましたが、心の中では「自分のことで精いっぱいだよ。僕の安全はどう考えてくれるの?」と思いました。「速やかに避難するように」と指示することはできると思います。 

 でも、上の階にいたら、僕は飛び降りるわけにはいきません。階段ではだれかのサポートが必要です。いろいろと考えたけれど「その時になれば、何とかなるよな」と楽観的な結論に至りました。僕だけの問題でなく、生徒を含めた学校全体としてみんなと考えていきたいことの一つです。 

 次の日、生徒たちに「昨日の地震の時、何をしていたの?」と聞いてみました。「先生は?」と尋ねてくれる生徒たちもいました。「職員室にいてプリントを作っていたよ」と答えると、「1階にいてよかったじゃん。2階、3階だと、おれたちがいないと逃げられないじゃん」。 

 「助けてくれる?」と続けると、「そんなの当たり前だよ。だって先生1人で逃げられないでしょ」と言ってくれ、一緒に笑っていました。 

 何げない会話にも生徒が僕を気にとめてくれていることを感じます。



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