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2003/06/11 掲載 「夢の教壇−障害のある僕の挑戦−朝日新聞秋田版朝刊」

 「教師になりたい」という僕の夢が実現して2年が過ぎました。この間、土崎中の生徒や保護者、同僚の先生、地域の方々などたくさんの人たちが支えてくれています。そのおかげで僕は今、夢の教壇に立ち、教師生活を送っています。 

 僕は26年半前、仮死状態で生まれ、それが原因で一種1級の「脳性まひ」障害者になりました。10センチの段差があると、1人で進むのは困難です。移動には電動車いすを使うこともあります。飲み物はストローを使い、初めて僕の言葉を聞くと、聞き取れない時があるかもしれません。でも、僕は自分自身が不自由だなんて思ったことはありません。 

 最近よく4年前のことを思い出します。山形大学を卒業し、秋田に戻ってきた時のこと。教員採用試験を受ける時、多くの人は「ほかの職業にしたら」「障害者雇用で就職したら」「前例がない」と難色を示しました。「どうして、僕の気持ちを受け止めてくれないのだろう」と寂しさを感じたものでした。僕自身は周りが言うほどムチャなことではないと考え、「僕のような教師がいてもいいじゃん」と思っていました。 

 試験には2度落ちました。「やっぱり、無理かな……」と悩んだ時もありましたが、やはり夢は簡単にあきらめられなかった。挫折しそうになった時は「中学校の数学の先生になりたい」と何度も思い返し、勉強を続けました。 

 そして2000年秋。3度目の挑戦で合格することができました。合格通知を手にした時は思わず「ヤッター」とガッツポーズ。あの日のことはきっと忘れることができないと思います。 

 今、少なくとも僕の周りでは「障害者は先生になれない」と言う人はいません。僕がいる学校の風景が「当たり前な社会」へと、少しずつ変わりつつあることを実感しています。 

 「ガクちゃん」は小学校2年の時、クラスメートが付けてくれました。それ以来こう呼ばれ、一番しっくりきます。街で見かけたら、「ガクちゃん」と気軽に声をかけて下さい。たくさんの方々への感謝の気持ちを込め、この連載をやっていきたいと思っています。



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