■A先生へのLove Letter(1) A先生、これから、先生に僕のことを理解してほしいと思うので、先生にLOVE LETTERを書こうと思います。
先生、僕と先生は変な巡り合わせですね。僕が指導教官に採用試験の要望書のことを相談しなかったら、先生とお話する機会もなかったでしょうね。また、僕は先生に謝りたいことがあります。先週の月曜日に先生の研究室を訪れたとき、結構強く自分の思いを言ってしまったことを反省しています。そして、金曜日、本当は先生に自分の思いを伝えながら、先生に一言、「ありがとう」と言いたかったです。なぜって、先生と月曜日に話し合ったとき、先生は「事前に秋田県の方に電話で問い合わせをしてみる」と言ってくださいました。そしたら、水曜日の指導教官のゼミで指導教官から、「A先生は、来週中に秋田県教育委員会に行って、直接、問い合わせてみるそうだよ」と聞きました。僕はそれを聞いて、嬉しく思い、先生に一度お礼に行こうと思いました。LOVE LETTERの中で言うのも恐縮ですが、
「先生、ありがとう」
先生、先生は僕と話してみて、なんて頑固な奴だと思われたと思います。そうです。僕はとても頑固です。この頑固なところが僕のウリでもあり、個性です。
先生、僕は小学校、中学校、高等学校とずっと普通学校で生活してきました。その中で、僕の頑固さは培われました。もう、どうしようもありませんね。長年、培われたものは。
先生、僕は学校時代、体育のことでずっと悩んできました。先生はびっくりするかもしれませんが、こう見えても僕は身体を動かすことが大好きです。だから、体育の授業はもちろんのこと、運動会や体育祭、マラソン大会、強歩大会などで今まで、病気やけがなどを除いては一度も見学したことがありません。初めはどの先生たちも「見学したら」と勧めてきました。その一言が僕を深く傷つけました。幼い頃から、僕は「なんで、障害があるからといって、見学しないといけないのか」と疑問を持っていました。僕は生まれつき、自分の思いを相手に伝えきらないと胸の中がモヤモヤしてきます。だから、先生をはじめ、友達に自分の思いを伝えていきました。
先生、先生には高校3年間の強歩大会のことを話したいと思います。強歩大会とはただひたすら、20kmを3時間で歩くという年に一度の学校行事でした。先生にも察しがつくと思いますが、僕が20kmを3時間で歩きぬくということは、サッカーの日本代表がワ―ルドカップ・フランス大会で、優勝することよりも不可能なことです。高校1年のとき、初めに担任の先生から「強歩大会、見学しなさい」と言われました。僕は「僕もみんなと同じように20kmを歩きたい」という思いを先生の心に伝えたら、先生は「そんなに歩きたいのなら、歩きなさい。でも、3時間を越えたら、車に乗ってきなさい」と言ってきました。僕ははじめっから、完歩するつもりだったので、その思いを先生に伝えても結局、堂々巡りでした。強歩大会の当日、僕は先生の意向を無視して、7時間をかけて、20kmを完歩しました。20kmの間にいくつかのチェックポイントがあり、僕のためにずっと待っていてくれた先生に僕は「申し訳ない」という気持ちと「ありがとう」という気持ちを持ちながら、歩き続けました。チェックポイントに立っていたどの先生からも「あともう少しだ、ガンバレ!」と言う励ましを受けました。そして、ゴールにはたくさんの先生が僕を迎えてくれました。「よく、がんばったな」「君の歩く姿に感動した」などと多くの先生に言われました。
高校2年のときも同じように、「完歩したい」という思いを伝えていきました。2年生のときは1年生のときのことがあるので、僕のこのような生き方に疑問を持つ先生もいましたが、僕の心の思いを受け止めてくれて、「今年もがんばれよ」と励ましてくれる先生もいました。
高校3年生のときは多くの先生たちから、「今年も当然、歩くよな」「今年も歩いて、3年間、完歩だな」と笑いながら、言ってくれる先生たちがたくさんいました。そして、僕は3年間で60kmを完歩しました。大学に入学して、初めてのゴールデンウィークに高校へ遊びに行ったら、2,3人の先生から「今年の強歩大会、いつもよりも早く終わって、盛り上がりに欠けたなぁ」と僕に言ってくださいました。
先生、僕はいつもこんな感じで、学校生活を送ってきました。「自分の思いがあったら、それを曲げないで、どこまでも貫き通す、そうすることで必ずや人は僕を理解してくれる」という信念が高校生のときに芽生えました。今もその思いで一杯です。今思うと、別に高校生のときからそうだったわけではなく、小さなときから、こんな感じでした。小学校のときのマラソン大会でも「ビリでもいいから、みんなと一緒に走りたい」という思いで6年間、マラソン大会を完歩しました。小学校といえば、お母さんたちも躍起になって、自分の子どもの応援に来ます。そのお母さんたち、全校生徒、先生たちに僕はいつも拍手で迎えられて、ゴールしました。ゴールした瞬間は本当に気持ちのいいもんですよ。その感動は今でも僕の胸の中で、生き生きと輝いています。小学校5年生のときのマラソン大会の練習のとき、なんでも僕の走り方は最初から最後まで、同じペースだということで全校生徒の前で、ほめられたことがあります。そして、小学校6年生のマラソン大会が終わったときの作文に僕は「6年間、ビリだったマラソン大会」という題で、(ビリから、2番目になりたかった思い)を書きました。そしたら、担任の先生が泣きながら、クラス全員の前で僕の作文を読み上げてくれました。そのときの先生の涙を僕は一生忘れないで、受け止めたいと思っています。
僕は幼い頃から、自分の思いを訴えていき、多くの人たちをその思いで動かしてきたと今となって、思えるのです。だからこそ、高等学校までの学校生活は苦しかったことや辛かったことがたくさんありますが、それらをひっくるめて「楽しかった」と胸をはって言えます。今では、そう言える自分に誇りさえ感じます。
先生、このような学校生活を送ってきた自分だからこそ、教師という職業に対して、人一倍の思いがあることを理解してください。自分で言うものなんですが、最近、成長したなぁと思います。「自分の障害を含めて、多くの人たちを受け止めたい」という思いが強くなってきました。僕は身体に障害を持って生まれてきました。障害を持っているが故の差別を今まで、星の数ほど受けてきました。悔しくて、悔しくて、悔し涙に溺れながら「なんで、障害を持って生まれてきたのだろう」と思い、障害のある自分を恨み、一時期は障害を持って産んでくれた母をも恨んだことがありました。でも、最近になって、こんな僕だからこそ、親身になって、人の苦しさや悔しさを聞いてあげられるのではないだろうか、悩んでいる人たちの気持ちを僕の全部で受け止め、一緒に付き合っていけるのではないかという思いが心の奥底から、今、溢れ出ています。
先生、僕は大学に入学して、ボランティア活動を始めました。恥ずかしい話ですが、これと言って、問題意識もなく、ただ、ボランティア活動をしている女の子はみんな優しくて、僕のことを受け止めてくれるだろうという思いから、始めました。今、振り返ってみると、最初の僕の勝手な思い込みは当たっていました。たくさんの女友達を得ることができました。しかし、いざ、ボランティア活動をすると、そういう不純な気持ちが一掃されました。このことを思うと、いつも僕は真面目だなぁと思います。僕は「なのはな」というサークルに入って、いろいろな活動をしました。初めて見学に行ったとき、みんなで「ぞうさんのあくび」(先生、知っていますか。幼児向けの番組「お母さんといっしょ」で最後に踊るものです。今は変わって、「あいう」です)を踊っている光景を見て、激しいショックを受けた記憶があります。なぜなら、今まで生きてきた価値観と違った価値観で、生きているように思えたからです。僕は5歳のダウンの症という障害を持った男の子の担当になりました。彼と関わり始めると、不思議と彼のことをもっともっと知りたいと思い、いろいろな専門書を読みました。このことがきっかけで、僕は障害児教育に興味を持ち、養護学校の免許を副免でとろうと思いました。
先生、初めて、先生にあったとき、先生は「養護の免許を持っているのなら、養護学校はどうなんだ」というようなことを聞いてきました。たしか、僕は「身体的に障害があるから、養護学校は難しいのでは」と答えたような気がします。先生はどのような気持ちで僕に聞いてきたか分かりませんが、僕はあのときの受け答えに補足したいことがあります。僕は障害児教育を勉強していくなかで、健常児と障害児が一緒に学んでいくということに興味が膨らみ、その可能性について、考えています。
先生、先に述べてきたように僕の学校生活は楽しかったです。ただ、教育学部で教育について学んできたからこそ、これまで僕と関わってきた先生を批判したいのです。今、振り返ってみても、僕と関わってきた先生たちは本当の意味で、障害を持った子どもたちのことを理解していないなぁと思います。
先生、僕は多くの先生たちから「逆差別」を受けてきました。例を挙げると、国語の時間、音読をするとき「オマエは読むのが大変だから」と言って、飛ばされたり、体育の時間も「オマエには無理だから、見学しろ」など、黒板に数学の問題を解くときでも「オマエは書くことが大変だから」と言って、書かせてもらえなかったりと例を挙げれば切りがないくらいの「逆差別」を受けてきました。
先生、これを聞いて、どのようにお考えですか。こんなこと当たり前ですか。友だちは先生のこのような態度を見て、接してきました。だから、本当に悔しかった。僕はどんなことにも諦めない性格なので、それにもめげずに「やりたいものはやりたい」と言ってきました。でも、そういうことでクラスのみんなに無視されたり、いじめられたりしたので、自分の思いを言っていくことに対して、恐いと思ったことがあります。そんなとき、もう少し、先生が僕の思いを理解してくれたらなぁと思っていました。僕にとって、この「逆差別」が一番厄介です。なぜなら、僕のことを理解しているつもりで接してくるからです。先生たちが僕にとってきた態度はもちろん、先生たちの僕に対する「優しさ」です。でも、それは「本当の優しさ」ではありません。「本当の優しさ」とは、一人の人間が今、何を本当に望んでいるかを見極めるまなざしの確かさとそれを実践していく行動力と勇気だと僕は認識しています。
先生、僕はこのような思いから、教師になりたいと思っています。時代の趨勢からいって、これから、障害児はどんどんの普通学校に入学してくると思っています。そのようなときに教師の逆差別によって、障害児が自信喪失になってほしくないのです。教師の「逆差別」は障害児だけではなく、他の子どもたちにとっても、とても不幸なことです。そのことを僕は教師になって訴えていきたい。教師が「逆差別」を無くし、「本当の優しさ」で、障害児へ接し始めたとき、その教師の姿勢から、他の子どもたちは多くのことを学ぶに違いありません。この教育効果はきっと、はかり知れないものがあるだろうと思っています。だから、僕は微力ながらも「本当の優しさ」とは何なのかということを自分の経験をもとに訴えていきたいと思っています。
先生、僕の興味は障害児教育から始まって、それが障害者問題に広がり、社会福祉全般に広がっていきました。そして、今は「人権」という概念に興味を持っています。
先生、身の程を知らないで、僕の考えを先生に伝えたいと思います。僕は人間を権利主体だと思っています。だから、あらゆる人間は権利を持っています。その人に権利があると認めるならば、その権利を保障していこうすることが社会の本来の在り方だと思います。だから、僕が
秋田県の採用試験に提出する要望書は僕の基本的な権利であると思います。そして、それを受け入れることが秋田県教育委員会の基本的な態度ではないだろうか。ただ、僕は当たり前のことを当たり前に要望しているだけなのです。
先生、このことについて、どのようにお思いですか。たぶん、この世知辛い世の中、当たり前のことを当たり前に要望して、通る世の中ではないと言いたいと思います。そのことを僕は十二分に知っているつもりです。でも、だからといって、このような社会に屈託したくはない。もし、当たり前のことを要望して、それが通らない社会であれば、その社会に妥協するのではなく、その社会を変えていくという姿勢が人間の本来あるべき姿なのではないだろうか。
先生、僕のことを誤解しないでください。僕は決して、思想的にどうのこうのと言っているわけではありません。僕は政治的イデオロギーには全く関心を示しません。
先生、金曜日に先生と話し合ったとき、先生は僕に他の職業について、いろいろと提示してくれましたね。僕は先生の親心が伝わってきて、正直に嬉しかったです。ただ、僕の中ではもうすでに解決した問題でした。僕は先生に「今、採用してもらった後のことについて、真剣に考えている」と言いました。これは僕の素直な気持ちです。僕は一人の人間としての考えを言うと、障害者にはできる部分とできない部分があります。そのできない部分に注目して切り捨てるのではなく、できない部分をサポートしていくことが我々の障害者に対する基本的な態度ではないだろうか。ですから、僕が採用になったら、このことを県教育委員会に要求していきたいと思っています。
先生、先生にこのことを言ったら、先生は「県教育委員会だって、できないことだってあるかもしれないよ」と言うかもしれませんね。そしたら、僕は先生や県教育委員会に「人権尊重」という概念について、どのようにお考えですかと聞きたいです。これについては僕もはっきりとしたことは何も言えませんが、ただ、「人権尊重」という言葉だけが一人歩きしているように思えてなりません。僕はそれに危惧さえ感じます。もっと具体的に言い換えれば、「子どもたちの前でみんな仲良く、協力していこうね、と言っている教師が僕をサポートできないと言うのであれば、子どもたちの前でそんな綺麗ごとを言う資格はない」と言いましたよね。僕は今の教育の荒廃として、教師が自分たちの言葉を失っていることも一つの原因ではないだろうかと思っています。だからこそ、僕はこのことを訴えていきたいのです。僕が採用になったときに関して言うと、基本的に僕をサポートするのは県教育委員会の責任です。しかし、それが充分に果たせないということであれば、僕はボランティアを募りたいと思います。
先生、先生は僕に「教育実習はどのようにしたのか」と聞いてきましたよね。僕は山形大学教育学部付属中学校での授業は数学科の友達に前もって、画用紙に書いてもらって、それを授業中に貼っていくという授業をしてきました。授業というものは生徒たちの発表をもとに展開していく授業もあります。そのときは生徒たちに前へ出てもらい、板書してもらいました。このような授業は生徒たちにとって、きっと新鮮だったことでしょう。生徒たちに快く受けいられました。そのことが僕にとって、かなりの自信になりました。 |
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