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A先生へのLove Letter(2)

 先生、僕は数学科の代表として、研究授業をやってきました。自分でも良く分かりませんが、数学科で研究授業者を決めるとき、真っ先に名乗りを挙げました。指導教官の先生たちも最初はビックリして、「三戸君、研究授業をするということはその準備から始まって、いろいろとやることがあって、体力的にシンドイですよ。三戸君はそれにたえられますか」と言ってきました。僕はこのような言葉に対して、強い反骨心を持っています。指導教官の何気ない言葉は僕の心に火をつけました。何が何でも絶対に食らい付いてやるという強い気持ちになりました。研究授業は各教科で行うのですが、数学科が一番授業を参観する人が多かったので、「数学」を誇りに思えました。肝心の授業は上手くいかず、多くの反省点を残しましたが、これまでやれた自分に満足でした。マラソン選手の有森裕子選手の言葉『自分で自分をほめたい』という心境になりました。今思うと、授業に対する情熱があったからこそ、やれたのだと思います。 

 

 先生、授業のことに関して言えば、僕は方法論の問題だと思います。僕は黒板に字を思うように書けないというハンディキャップをどのような形で補っていくかという議論だと思っています。だからこそ、今、真剣に考えています。また、このことに関して、多くの人たちの意見を聞きたいと思っています。教育実習のとき、付属中学校の数学の先生たちから、「三戸君、もし君が教師になったら、いったい誰が画用紙に字を書くのかね」と聞かれましたが、続けて「でも、三戸君を見ていると、君の人柄で何とかなりそうな気がするな」と笑いながら言ってくださいました。これを聞いて、僕は嬉しく思うと同時に、先生たちの人間性に深く敬服しました。僕はこれまで難しい議論をしてきましたが、そんなに難しく考える必要もないのではないかという気がします。基本的に人間は温かく、協力しあい、助け合って生きていくものだと信じています。人間は心というすばらしいものを持っており、理屈では推し量れないものに感動し、励まされ、癒され、そして、生きる勇気を与えられ、生きていくものだと思っています。だから、僕のこの生きることへの前向きな姿勢がいろんな意味で周囲の人たちの共感を呼び、僕のできない部分をサポートしていこうとする人間が現れるのではないかという期待を持っています。 

 

 先生、僕は先にボランティアを募りたいと言いました。それについて、僕はこのように考えています。仮に画用紙を使って、授業をするのなら、画用紙に書くことをボランティアにお願いしたいと考えています。もちろん、学校の先生たちがそれをやってくれることはBESTだとは思いますが、学校の先生は子どもがあってこそ、学校の先生です。だから、自分の担当する子どもをさしおいてまでも、僕のサポートをするということは本末転倒だと思っています。だからこそ、ボランティアにお願いできるものはボランティアにお願いしたい。 

 

 先生、これからの学校は地域に開かれていくだろうと思います。先生はこのことについて、どのようにお考えですか。僕はこれからの学校はどんどんと地域に開かれなくてはならないし、そのように取り組んでいく努力をしていかなくてはならないと思っています。そのとき、僕は大きな役割を果たしていくのではないだろうかと思っています。僕のサポートを地域の人たちにもサポートしてもらいたいと思っています。これは僕の個人的な考えなのですが、今の学校は社会に対して、とにかく閉じていると思います。ありとあらゆる問題を学校内の問題として捉え、学校内で解決しようと一生懸命にもがいているように僕には見えるのです。そうではなく、学校内で息詰まったら、積極的に地域に問題を持ちかけ、地域の人たちと議論をし、そして、問題を共有化し、問題を解決していく糸口を見出していく姿勢こそが大切なのではないだろうか。このことこそが今日言われている「地域社会の教育参加」なのではないだろうか。僕のサポートの問題は、このようなレベルでも議論できるような気がしてなりません。 

 

 先生、誤解しないで下さい。このような考えは何も僕一人の個人的な問題として、考えているわけではありません。僕は子どもたちのことを常に念頭において、考えています。つまり、僕はこのように多くの人たちのサポートを得ながら、様々な教育活動をやっていくことは子どもたちにとって、どのような意味を持ってくるかということをいつも考えているのです。幸せか不幸かを別にして、子どもたちは大人の生き方または価値観を基にして、自分なりの生き方または価値観を形成していきます。そう考えていったときに、僕の生きる姿、或いは多くの人たちが僕をサポートしていく姿勢は子どもたちに絶対にプラスに働くはずです。これは確信を持って言えます。 

 

 先生、先生は21世紀の社会にどれほどのリアリティーを持っていますか。僕はかなりのリアリティーを持っています。これも個人的な考え方で恐縮ですが、僕は今以上に「人権」という概念が尊ばれるだろうと思っています。つまり、人は人として、最大限に尊重される時代が来るだろうと考えています。先にも述べたように、僕は福祉について、勉強しています。勉強している途中なので、大きなことは言えませんが、歴史的にみても、これまで人間の「人権」と言ったものはほとんど尊重されてこなかった。社会的弱者と言われる人たちはなおさらのこと。でも、最近の社会の動きは過去を過去として、これからはお互いに助け合って生きていこうとする気運が高まってきていると実感しています。他のいろいろな問題は別にして、「人権意識」或いは「権利意識」ということに関して言えば、僕は基本的に良い方向へ進んでいっていると思います。そして、僕はこの勢いをさらに増長していきたい。21世紀の社会を創造していくのは僕たちの世代です。僕は一人の人間として、研ぎ澄まされた「人権感覚」を持った子どもたちを育てていきたいと思っています。それは僕の思いではなく、社会からの要請のような気がするのです。 

 

 先生、「ノーマライゼイション」という思想はご存知でしょう。これは「障害者も健常者も共に生きていく」という思想です。なんてすばらしい思想なのだろうと思います。僕は障害を持って生まれてきました。大学に入学して、福祉に興味を持ち、主に障害者福祉について、勉強しています。勉強を始めたころは自分に障害があるから、このような分野に興味を持つのだろうかと自分なりに悩みました。しかし、勉強が深まっていくにつれて、それは明らかに違うということが自分の中で、明確になってきました。自分がこのような分野に興味を持つのも、僕の人間性だと思います。僕は一人の人間として、この「ノーマライゼーション」というすばらしい思想を思想だけに終わらせたくないのです。このすばらしい思想を現実社会のなかで、具体的に実践していかなくてはならないと思っています。幸い、僕は生まれつきの障害者です。だから、僕を通して、この「ノーマライゼーション」を僕と関わる人たちに考えていってほしいと思うのです。このことは僕が教師になろうとする理由の一つでもあります。子どもたちが、教師たちが、保護者たちが、地域社会が、或いは社会全体が僕を通して、「障害を持った人たちと共に生きていくということは、どういうことなのか」を考えていってほしいと思っています。これは僕の切なる願いです。このことが僕の果たす社会的な役割だと思っています。依然として、障害者には差別と偏見があります。 

 

 先生、先生は僕に他の職業を勧めてきました。繰り返しになりますが、先生の僕を思う親心が伝わってきて、嬉しかったですよ。でも、先生の僕が教師になることへの思いが伝わってこなかったから、今、こうして、LOVE LETTERという形で先生に手紙を書いています。このLOVE LETTERで、先生に僕の心の思いを伝えようと思ったのです。 

 

 先生、僕は先生に「障害者への差別や偏見をなくしていくためには、どのようにすれば良いですか」と聞いてみたいです。このことについて、僕は当事者ががんばっていくしかないと思っています。僕はときどき、このような夢を見ます。 

 

【僕が教壇に立ち、僕と一緒に教育活動をした子どもたちが、僕の生き方、僕をサポートしてくれるたくさんの人たちの姿勢、または僕をサポートした経験から、僕が声高に「ノーマライゼーション」と言わなくても、子どもたちがしっかりとこの思想を身に付け、特別なことではなく、当たり前のこととして受けとめ、やがて、研ぎ澄まされた「人権感覚」をもとに社会の表舞台に立って、活躍している姿を】 

 

 先生、先生は僕に「市職、県職があるよ」と言いました。もちろん、その道についても僕は考えました。考えて、やはり僕は教師になりたいと思いました。秋田県には僕のような重い障害を持った先生はいないそうです。厚生係の人が秋田県の採用試験の配慮について問い合わせたところ、「今までに、前例がない」と言われたそうです。それを聞いて、「前例がないのなら、前例を作ってやろう」と思いました。僕が扉を開いて、次に続く人たちの道しるべを作っていきたい。僕が教壇に立つことで、他の多くの障害者たちが触発されて、教師という職業を選んでいくきっかけになればなぁと思っています。そして、いつの日か、多くの人のサポートに支えながら、教育活動をしていく教師が社会に自然と受け入れられていることを夢見ます。これこそが「ノーマティブ」な社会ではないだろうか。僕はその突破口になりたい。目の前の大きな壁にたじろいで、他の職業に変える人もいるかと思います。しかし、僕はその大きな壁に穴をあけたい。 

 

 先生、僕は自分の将来に対して、このように考えていることを理解してほしいと思っています。 

 

 先生、先生は僕に「東洋人は西洋人に比べて、いろんな意味で不幸だ」と言って下さいました。「西洋人は人種も宗教も民族も違う。しかし、東洋人は顔の色も同じだし、西洋人から見れば、東洋人は皆兄弟みたいなものだ」と言って下さいました。僕は先生の言う通りだと思って、聞いていました。先生は続けて「西洋人は人と違ったものを受け入れられるが、東洋人は周りが皆兄弟みたいなものだから、とにかく人と違うものは目だってしまう」と言って、「だから、東洋人は不幸なんだ」と言って下さいました。僕は先生から、次の言葉を聞きたかったのです。 

 

『だから、社会を変えていかなくてはならない』 

 

 先生、僕は先生からこの言葉を聞くことができたら、このように長いLOVE LETTERを書かなかったでしょう。今年、秋田県の教員採用試験を受けます。こんなこと、あるわけがないとは思いますが、もし、そこに「差別」があったのなら、僕は闘っていくつもりです。なぜなら、それが間違っているからです。子どもに教える身でもある教師とその行政組織である教育委員会が「差別」をしたら、これこそ、大変な問題ですよ。 

 

 先生、きっと先生は数学教育に関して、何も述べられていないことに不満を持つかもしれませんね。もちろん、僕は数学教育に関しても、それなりの思いがあります。指導教官の研究室を選んだのも「数学教育について、勉強したい」という僕なりの思いからでした。ただし、僕が教師になるということは数学教育よりも、これまで述べられてきたものの方が大切だと思っています。そもそも教師という職業は教科教育も大切ですが、それ以上に人間としての思いが大切ではないかと思えてなりません。 

 

 先生、僕は今まで自分の思いを素直に言ってきました。だからこそ、友達に反感を買ったり、嫌がられてきました。でも、最近、中学校・高校の友達から、「おまえみたいなヤツが教師になってほしい」と言われるときがあります。今では、学校時代にいじめられた人たちとも良い飲み友達になっています。このことを考えると、何だか不思議な感じがします。また、僕は障害者団体に関わっていて、そこで知り合った人たちからも「是非とも、先生になってほしい」と言われています。僕が思いでぶつかっていくからかもしれませんが、友達も自分の思いを僕に話してくれます。僕にとっては、とても嬉しいことです。 

 

 先生、先生は僕に「他の県は受けないのか」と聞いてきました。僕は受けません。僕には妙な郷土意識があり、秋田のために力になりたいと思うからです。また、僕のサポートのことについても、知り合いの人がたくさんいるので、頼っていくことができると思います。そして、僕を知っている人たちがいるからこそ、僕のことを理解できると思います。また、僕の恩師もいます。僕が教師になったら、まずは恩師が僕を受けとめてくれるような気がします。このようにありとあらゆる場面で、秋田県には僕が教師として、やっていける土俵ができているように思います。 

 

 先生、先生の思いはどのようなものですか。先生は僕に教師になって欲しいですか、それとも、なって欲しくはないですか。僕は先生の思いを確かめたいに、先生に自分の思いをぶつけています。先生が今週の木曜日に、秋田県の教育委員会を訪ねてくれるという話を聞いたとき、先生の僕に対する思いが伝わってきました。でも、あと1〜2%とはまさしく「先生の僕に教師になって欲しいか否か」という先生の思いです。先生のお考えでもかまいません。このことを確かめたくて、先生にLOVE LETTERを書いています。そして、わずか2回しか会っていないのに、先生に僕を理解してくれるように求めていったことを反省しています。だから、今、こうして、先生にLOVE LETTERを書いて、理解を求めています。 

 

 先生、先生は僕に「あなたは文章を書くのが得意なんだね」と言いましたよね。高校のとき、僕は文芸部に入っていました。これも不純な動機なのですが、とりわけ、文学に興味を持っていたわけでもなく、ただ単に女の子がいっぱいいるという理由で入りました。何だか、書きながら、僕は不純だらけの生き方をしているなぁと思います。でも、いつもこの不純さが僕の人生を良い方向へと変えていきます。僕は顧問の先生から「君は自分の思いを書いていけ」と言われました。素直な僕は言われた通りに、悔しい思いや切ない思い、嬉しかったこと、僕の前向きな姿勢などを書いていきました。そうしたら、結構、評判が良く、自信になりました。特に女の子は僕の切ない文章に涙を流しながら、読んでくれる人もいました。僕はその女の子の姿がかわいいと思い、書いては女の子に読ませてきました。それ以上に書くことを通して、自分の思いを伝えられることを知りました。幼いころから、僕は何にでも挑戦してきました。その姿で、僕はこれまでたくさんの女の子を泣かせてきました。だから、マラソン大会や運動会などの僕の思い出には必ずと言って良いほど、女の子の涙があります。カッコイイでしょう。僕はカッコイイと思っています。でも、女の子の涙にいつもだまされてきました。僕は純なので、すぐに、(この子、もしかして、僕のことを好きなのかなぁ)と勘違いしてしまいます。 

 

【女の子を泣かせてきたことは数知れず、女の子の涙にだまされてきたことも数知れず】 

 

僕のうたい文句です。 

 

 先生、僕は書くことで、世界を広げてきました。これからもたくさん書いていって、自分の世界をどんどん広げていきたい。そして、これからもいろいろなことに挑戦していきたいです。挑戦していくということは、自分の世界を広げていくことです。僕はこのことを子どもたちに伝えていきたい。なぜなら、自分が誇れる生き方だからです。幼いころからやってきた生き方を僕はやはり、貫きたいと思っています。そして、今はだまされ続けていますが、いつか本物の涙を流してくれる女の子が現れるのではないかという気がしてなりません。人に自分の思いを伝えるということはものすごいエネルギーが必要です。でも、それをしないでいては、自分らしくは生きられない。このことを僕は自分の思いとして、子どもたちに伝えていきたい。 

 

 先生、僕は先生の思いが知りたいがために、自分の思いを先生にぶつけてきました。先生に十分に僕の思いが伝わっていないと思ったからこそ、先生にこうして、LOVE LETTERを書きました。木曜日に秋田県教育委員会を訪ねてくれることに感謝でいっぱいです。僕は先生を通して、自分の思いが秋田県教育委員会に伝われば良いなぁと思っています。最後に、僕は先生に何年かかっても、先生になる思いは変わらないことだけは伝えておきます。 

 

 山形大学の就職指導委員長をしていたA先生に宛てた手紙です。



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