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山形の生涯学習の一側面

このレポ−トを書くにあたって、私は遊学館にある山形県生涯学習センタ−に行って、担当の人から、話を聞いてきた。そして、「平成9年度業務概要」「平成10年度業務概要」「新山形県生涯学習進行計画」の3つの資料と講座のパンフレットを何枚か頂いてきた。それらを基に、これから、私見を述べていきたいと思う。 

 

まず、なぜ山形県学習センタ−に足を運んだかと言えば、山形県の実情を調べてみたいという動機からだった。また、実際に、授業で習ったようなことや授業で渡されたプリントに書かれているように、生涯学習が行われているかどうか、自分なりに確かめてみたいという動機もあった。これから、授業で渡された学生新聞の記事と「生涯学習を問う。振興法案−私の意見」という島田氏の論をベ−スに山形県の実情を検証していきたい。 

 

まず、驚いたことは講座が有料だということだ。私がもらってきたパンフレットは【平成10年度〔山形学〕講座】「未来をひらく“扉”」と【近未来学講座〔最上総合環境学〕21世紀を拓く4つのカギ(KEY)を見出そう】の2つだ。この2つの講座のいずれもそれぞれ、5000円、3000円の受講料を支払う。担当者に「受講料を取っているのですか」と聞いたところ、「はい。基本的にどの講座も受講料を取っています」と答えた。その言葉を受けて、「なぜ受講料を取るのですか」と聞き返したら、「受講料を無料にすると、学習者の学習意欲が低くなる。ある程度、受講料を取ると、学習者の学習意欲が高くなる。お金を払っているから、一生懸命に学習しようという意識が高くなる。それにどの受講料もそんなに高くはない。飲屋に飲みに行けば、すぐになくなるお金だと思います」と答えた。 

 

島田氏は、「公的な施設で行う事業ほど、学習経験が少なく、あるいは所得の低い人にとって開かれたものであって…」そして、「(費用がかかりすぎる)(近くに施設がない)、このような阻害条件のために多くの人々が学習から遠ざけられている現状を見たときに、公的整備は非常に必要である…」と述べている。 

 

私は講座を有料にすることによって、学習意欲があっても学習できない人もいるのではないかと危惧を感じる。もちろん、私の浅はかな知識では講座の受講料の是非について、ここで議論することはできない。ただ、講座を有料にすることは教育基本法の機会均等の理念に反しているのではないか。なぜなら、受講料を取ることによって、受講料を払えない経済的弱者は学習の機会の保障がなさない図思うからだ。島田氏が例に挙げているイギリスは「低廉な受講料、または無料という極めて公共性の高い運営をしている」そうだ。また、ノルウェ−成人教育法に「…平等な機会を人々に保障することが、この法律の目的」と書かれているように、私も基本的には受講料を無料にすべきであると考える。受講料を無料にすることによって、全ての人々の学習する機会が保障され、教育基本法の理念が実現されると思っている。だから、「お金を払うことによって、学習者の学習意欲が高くなる」と言った担当者の言葉は教育基本法の理念に反しているのではないかと認識した。 

 

次に講座の内容について、私見を述べたい。「平成9年度業務概要」「平成10年度業務概要」には山形県の1年間の講座実践が掲載されている。それを見ると、どの講座も6〜7回で終わっている。少ない講座になると、4回で終わっている。 

「新山形県生涯学習振興計画」に掲載されているアンケ−ト結果によると、「今後どのように学習に取り組んでいくか」という質問に対して、「系統的に」と答えた人が全体の22.6%もいる。また、大学などの高度、専門的な学習を求めている人もいる。「業務要綱」には、【県民の高度な学習欲求に応え、先導的で高水準をもつ体系講座として】と書いてあるが、1つの講座が平均で6〜7回ではとてもではないが、これらの人々の学習ニ−ズを保障しているとはいえないだろう。 

 

講座の内容はコ−ディネ―タ―に委託しているそうだ。生涯学習センタ−でコ−ディネ―タ―を何人か決め、その人たちが話し合って、具体的に講座の内容を決めていくそうだ。これは県民の学習要求を把握して、学習プログラム(講座)を作成する責任を放棄しているのではないかと思える。本来なら、生涯学習センタ−の担当者が県民の学習要求を把握して、それに沿って、コ−ディネ―タ―やパネラ−の人を選ぶべきではないだろうか。 

 生涯学習センタ−が行う事業は自主事業と都道府県受託事業がある。山形県の場合、@学習情報提供システム整備事業Aボランティア団体支援相談事業B山形県生涯学習センタ−管理事業の3つ明記してある。その中の生涯学習センタ−管理事業では、使用団体として、国・県・市町村22.8%、民間49.2%個人28.0%と明らかに民間・個人の使用回数が多い。また、「新山形県生涯学習振興計画」の中に、【多様な学習機会を提供していくためには、民間事業者との連携が重要である。…今後、民間事業者との適切な役割分担を行いながら、公民館の民間事業者への開放や民間事業者のノウハウの活用方策や情報の提供などについて検討し、連携協力を進める】と記述している。これは明らかに民間事業者の教育文化事業への導入である。積極的に民間事業者の能力活用を前提している。行政による生涯学習の条件整備の公的責任逃れに過ぎないのではないか。 

 

最後に「新山形県生涯学習振興計画」を読んでの感想を述べたい。一読して、なんてもっともらしいことを書いてあるのだろうと思った。しかし、この冊子には公的な責任は何なのか、という部分が抜けている。例えば、〔ノ−マライゼ−ションを進める学習の推進〕という箇所には、啓発活動やボランティア養成などについて、記述してある。この記述を読んで、障害者福祉については市民や民間にお任せしようという意図が感じられる。私は基本的に福祉は公的責任で行うべきだと思っている。啓発活動やボランティア養成などをして、民間活力を育成し、公的責任を免れようとする意図ではないかと思う。全てがこんな感じで、いろいろな問題を巧みに生涯学習と結び付け、一見もっともらしく記述している。学生新聞の記事や島田氏のような現行の生涯学習を批判する文章を読み、行政の文章を正しく理解できる目を養っていく必要があると感じた。 

 

「いつでも、どこでも、だれでも学べる社会」 

 

これが山形県の豊かな生涯学習社会を築くための基本目標である。この目標に向けて、少しでも近づくように、日々私は邁進し、注意深く、社会の動向を見ていこうと思う。 



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