■憲法と私 山口洋子 編著 洋々社 1997年 執筆 日頃、生活している中で憲法と接することはまず皆無と言ってよいだろう。それは、ふだん私達が何不自由なく暮らしているからだと思う。しかし、憲法を読んでみると、私達が何不自由なく暮らしていけるのは、それを憲法が保障しているからだということに気付かされる。私は日本国憲法の三大原則の一つである基本的人権を取り上げ、その崇高な理念と現在の問題点を論じるなかで、憲法と私の関係を述べていきたい。
日本国憲法の第十四条は法の下の平等を謳っている。
「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」
しかしながら、現代の社会において、果たしてすべて国民が平等なのであろうか。日本国憲法を読んでいて、ふと私はこのような疑問を持った。
私は生まれつきの障害者である。私自身、障害を持って生まれてきたことを不幸だとは思わないが、障害を持って生きていると、度々社会の理不尽な点にぶつかる。それ故に現代の社会の中で、すべて国民は平等であると言われても、果たしてそうなのかという疑問を持ってしまうのである。 例えば、一人暮らしをしたいのでアパートを斡旋してもらいに不動産屋に行くと、係の人に、
「君みたいな人が一人暮らしできますか、止めたほうがいいのではないですか」と、言われたときがある。私はこのように言われると無性に腹が立ってくる。私も喧嘩腰になって、
「どうして、一人暮しをしてはいけないのか」
このように言うと、ほとんどの人は大変だとか、無理だという障害者への既成概念、もしくは感情論で私に言ってくる。それならば、私の居住する権利は、いったいどこにいったのだろうか。
また、すべて国民は自由権という権利を持ち、その中で移動する権利も保障されているはずだ。しかし、障害者の移動権は現代社会においても、決して十分だとは言えない現状である。
私はよく旅をする。旅をして、そこの地域のさまざまな文化に触れることによって、自分の視野を広げていきたいと思っている。旅をする時、私はよく列車を利用するが、それが私にとって、とても不便である。まず第一に駅舎の段差を何とかしてほしい。私のように運動機能に障害を持っている人達は、階段の昇り降りすることはなかなか容易なことではない。階段を昇り降りしながら、私はいつもここにエスカレーターやエレベーターがあればいいのになぁと思う。次に、列車とプラットフォームとの間にある段差が私にとって、列車の乗り換えを非常に困難なものにさせる。新幹線はそうでもないが、普通列車となるとその段差は甚だしい。友人が一緒ならば、私は友人の肩を借り、そうでない時は側にいる人に声を掛け、援助してもらうのである。
これは駅舎に限ったことではないが、公共の施設において、エスカレーターやエレベーターはおろか階段に手摺りさえも付いていないところがある。これでは、私のようなものはこの先を行くことができない。このような場面に出会うと、私はつくづく社会の我々への配慮のなさを感じてしまう。
このようなことは日常茶飯事であって、例を挙げれば切りがない。現代社会において、本当にすべて国民に基本的人権が保障されているのであろうか。この命題を明確化していくために、私達が出来る最も確かな方法は障害者の人権を考えていくことではないか。現代を生きる私達は物質的に恵まれ、欲しいものはすぐに手に入る消費社会を享受しているように思う。そうした中で、ともすれば私達はその快感を追求する方向へ突っ走ってしまっているのではないだろうか。換言すれば私達は消費社会の中に個人のアイデンティティーを埋没しているのではないだろうか。その姿には己の欲求を満たすものが社会に溢れているためか、人権意識の薄い、他者のことを考える想像力に乏しい堕落した人間が容易に想像できる。
私は一人の障害者として、日本国憲法に明記されている基本的人権の崇高な理念を背景に、これから先、障害者の人権確立に邁進していきたいと思っている。歴史を見れば、長い間、障害者は不当な差別を受けてきた。いつも障害者は援助・保護の対象として受け止められ、一人の人間としての尊厳を追求されてこなかった。そして、現在も十分とは言えないだろう。それ故に、現代社会はすべて国民にとって、平等な社会ではない。私達は誰もが平等な社会を目指すなかで、まずは障害者の自己決定権の確立が急務であろう。しかし、このように思っている私も時々、不安になることがある。(自分の言っていることは本当に正しいのだろうか。もしかしたら、自分のわがままなのではないだろうか。)
私はこのような不安に答えてくれるのが日本国憲法であると思う。憲法の条文は、しっかりと保障している。障害者の基本的人権を守ることは、日本国憲法上からしても基本的に公的責任であることはいうまでもない。私は自分の思いを日本国憲法に照らし合いながら、社会に訴えていき、障害者の人権を保障してくれるような社会を創造していきたいと思っている。
これから先、私はこの尊い日本国憲法の理念をしっかりと学び、絶えずこの理念と対峙しながら、生きていく所存である。 |
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