■ありのままに生きる大切さ 第5回全国ボランティアフェスティバル大阪 作文コンクール
一般の部 厚生大臣賞
僕は大学に入学して、初めてボランティアに興味を持った。僕がボランティア活動から得たものは、ありのままの自分を出して生きる大切さを実感できたことだった。僕は脳性麻痺という障害を持って、この世に生まれてきた。小学校、中学校、高校と僕は普通学校で生活してきた。周りにいる友達はみな健常児で僕だけが障害を持っていた。普通学校で生活していくには苦しかったことや悔しかったことがあった。でも、決して自分自身の障害に負けることなく、小さい頃から、何でもみんなと一緒にやってきたつもりだ。生まれつき負けず嫌いの僕は障害があるからといって、特別扱いを受けることがプライドを深く傷つけた。だから、町中を歩いていて「どこの養護学校に通っているの」と聞かれると、無性に腹が立った。多分このような思いから、自分の障害に向き合うことを避けてきたような気がする。また、障害を持っているがためにいじめられたこともあるので、障害は自分にとってマイナスになると考えていた。だから、今まで自分の生まれつきの障害を認めたくはなかった。「俺はみんなと同じ(健常者)なんだぁ」という虚勢を張って生きてきたような気がする。
それで、お年寄りや障害をもっている人たちと接することはもちろん、町中で見かけることも嫌だった。なんだか自分自身を哀れんでいるような気がして、また、自分の醜さを見ているようでなるべくなら避けて通った。しかし、自分の障害を悩むにつれて、僕は健常者と障害者の間に乗り越えられない大きな壁があることに気付いた。所詮、友達は僕の本当の気持ちを理解し得ないだろう、という一つの信念が心の中にうずたかく積まれていった。裏を返せば、僕の気持ちは同じ障害をもった人にしか分からない、という想いが次第に強くなっていった。人間の想像力には限界があると思っている。健常者が障害をもった人を理解しようと近づくことはできる。しかし、完全に理解することは不可能だと思う。そう思った時、僕が今抱えている問題を他の障害をもった人達はどのように考えているのだろうか、またどのようにして乗り越えてきたのだろうか、と疑問に思うことがあった。その頃、障害をもった人を見るのも嫌悪していた僕は実は心の奥底で激しく求めていることに気付いた。
同じ年の山形県ボランティアフェスティバルの写真 さて、真ん中にいる美女はだれでしょう?
僕がボランティアをする切っ掛けを作ったのは、大学のサークルで「なのはな」という障害をもった子供と遊ぶサークルに入ったことだった。僕自身も幼い頃、郷里の秋田県で地元の大学のお兄さん、お姉さんに遊んでもらった経験がある。今度は自分があの頃のお兄さん、お姉さんと同じことをしてみよう、という強い気持ちが湧いてきた。でも、「障害をもっている自分がボランティアなんてできるのかなぁ」という不安もあった。「なのはな」にはダウン症という知的障害をもった子供たちが集まってきている。そこで、いざ活動してみると、自分が障害者であることを忘れさせてくれるのだ。そこには本当の人と人との関わり合いがあった。「なのはな」の子供は知的障害があるので、十分に自分の意志を相手に伝えることはできない。しかし、子供のわずかな動きに注目して接すると、子供は僕にいろいろなことを教えてくれた。そして、何よりも子供が次に何を欲しているか知ろうと努力すればするほど、子供は僕を優しい眼差しで見てくれるようになった。
今まで僕は障害をもった人の側からしか、社会を見てこなかった。友達の気持ちを分かろうともしなかった。それで、自分の気持ちをなかなか理解してくれない友達を責めたりもした。しかし、いざ障害をもった子供たちに接してみて、人を理解する「難しさ」を知った。それと同時に人を理解する「すばらしさ」を知った。僕はこの世界に心を動かされた。僕はもっとこの世界について知りたいと思い、様々な参考文献を読んで勉強した。また、様々なボランティア活動に積極的に参加して、実際に障害をもっている方と付き合ったりもした。
今、僕は福祉(障害者福祉)について勉強している。自分も含めて、障害をもった人の置かれている立場を知りたいと思い、勉強を始めた。将来、どんな職業に就くか分からないが、福祉について少しでも社会にものを言える人間になりたいと思っている。今このように思えるのも、ボランティアを通して、ありのままの自分を受け入れることができたからだと思っている。僕にとってボランティア活動は、閉ざしていた心の扉を開いてくれたことだった。そして、これからの人生を障害者として生きていく自信と勇気を与えてくれたような気がする。僕はボランティア活動をこれから先の人生の糧にしていきたいと思っている。 |
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