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全障研東北ブロック集会(平成14年6月8日・9日)・第2日目@

ブロック集会秋田大会の、第二日目の行事です。記念講演を始めます。 

 始めにお願いですけど、三戸先生からの講演をいただいた後、参加者のみなさんといっしょに交流をしたいということですので、どうぞいろんな質問や聞きたい事をどんどん出して下さればありがたいと思います。 

 それでは始めに、秋田支部の支部長です、渡辺のほうから講師紹介をいたします。 

 おはようございます。それでは三戸学さんのご紹介をします。 

 1976年12月17日、秋田市に生まれました。その時、酸欠が原因で仮死状態で生まれまして、それで脳性麻痺になりました。1980年、ルーテル愛人幼稚園に入園してます。1982年、秋田市立日新小学校入学。1989年、秋田市立西中学校入学。1992年、秋田県立秋田南高等学校に入学。1995年4月、山形大学教育学部に入学。それで中学校教員養成課程の数学を専攻。1999年に卒業。そして1999年の10月から6ヵ月間、秋田市立豊岩中学校で非常勤講師をしています。それから2000年の10月からやはり6ヵ月間、秋田市立下北手中学校で講師をしています。そして、2001年の4月1日付けで秋田市立土崎中学校の教諭に採用になりました。 

 それで昨年、『みんなの願い』に書いてます。8月号から今年の1月号まで「ガクちゃんの教師日記」ということで教員採用試験に合格したときのことや、赴任校が決まって部屋探しをしたこと、あるいは生徒との様子なんかを六回にわたって書いています。 

 今日は教師二年目に入って、普段感じていることや夢、それから趣味の卓球などについて話していただきます。また、いくつか問題提起もありますので、最後の質問コーナーではみなさんの発言をお願いします。 

 以上ですが、簡単に紹介に代えさせていただきます。 

 それでは、三戸先生よろしくお願いいたします。 

 今、ご紹介になりました、三戸学です。今日は日頃感じていることを、タイトル「生徒といっしょに」という観点で話していきたいなあと思います。で、僕の話す内容を聞きながら、ひとつなんかこう、考える切っかけになるんではないか、またいっしょに考えていきたいなあという気がしています。 

 まず、話したい内容は四つあって、まず一つは先生になるまでを話したいなあ、と。二つめ、毎日の生活。三つ目、障害者スポーツについて少し話したいなあと。四つめ最後にまあ、今後の課題ということで、今感じていること、これから先のことを話していけたらなあと思います。 

 まず始めに「先生になるまで」。サブタイトルが、僕は異端児?「助言でなく支援を」、っいう感じです。これは何かというと、大学、今ご紹介あったように山形大学に四年間いました。大学卒業して地元秋田に帰ってきました。で、秋田で先生になりたい、教師になりたいと思っていました。秋田に帰ってきたころ、周りの人に「先生になりたいんだ」という気持ちを話したら、ほとんどの人が難色を示してくれました。「お前は無理じゃないの」とか「もっと別の道があるんじゃないか」「他の職業があるんじゃないか」とか、あと 「前例がない」ということ、様々なことを話してくれる人がいて、で、まあそういう風に、こう周りの人が言ってくれると、「あれ、俺の先生になりたい気持ちって、おかしいのかな? 自分の気持ちのほうがおかしいのかな?」こう思っちゃうんですよ。で、なんていうんですかね、意識上のバリアっていうか、意識の中で先生になることってどういうことなのかなっていう部分が、非常に僕のバリアになったんですよ。 

 で、先生になりたいっていう気持ちを話したら、よく多くの人がやってくれるんですが、をしてくれるんです。例えば、難しいとか、もっと楽な道があるんじゃないか、とか。そういう助言じゃなくて、して欲しいことは支援なんですよ。「先生になりたい」っていう気持ちがあったら、じゃあその気持ちをどのように実現させていくのか、支援していくのか、いっしょに考えていくのかという、そういういっしょに何かやっていく、いっしょに気持ちを受け止めてくれるっていう雰囲気。周りの意識が変わっていくと、障害を持つ人をどんどんどんどんそれに後押ししてくれて、もっとね、どんどんどんどん前に進むんじゃないかなという感じを受けました。で、非常に意識の上のバリアというのが皆さんの中にまだまだあるなあというのを痛感しています。 

 であのう、なんで先生になりたいのかと思ったら、やっぱり大学四年間で子どもたちと関わってきて、そこで得た経験が大きいです。 

 まず「家庭教師で」ということで、まあこれも家庭教師のことを話すと長くなっちゃうんですが(笑)。子どもに勉強を教えてみたいということで、大学一年生の頃、家庭教師の斡旋所に行ったんですよ。そしたら「障害があるから勉強を教えるのは無理だ」って斡旋所の方に言われたんですよ。まず一つぐらい斡旋所に行ってそういうこと言われても……斡旋所は山形市内に四つあったんですよ……まあ四つのうち一つだったらいいかなというのに、四つ全部行ったら、四つとも同じこと言ってくれたんですよ(笑)。で、やっぱり、そうなると結構ショックなんですよね。そのショックは多分ね、あんまり周りの人に分からないんじゃないかなと思うんです。その当時の友達に話したら、「仕方ねぇべ」とか「まあいいねが」ていう声がほとんどだったんです。ぼくは家庭教師やりたくて山形市内全部の斡旋所に話したのに、障害が理由で断られたって、それで「仕方がないべ」って、で済む話なのかなって何度も何度も思うんですが……例えば僕に勉強を教える能力がないとか教え方がマズイっていう風な感じで言ってくるんだったら分かるんだけど、障害があるから無理だっていうのは……非常に合点がいかない、納得が出来ないんですよ。だって生れつき障害を持ってるわけだから、それでダメだって言われたら、なんとすればいいんだっていうので、それであの、友達に相談に乗ってもらって、大学二年生の五月に「障害と共に歩む会」っていう会を創ったんですよ、大学の友達に呼びかけて。それであの、家庭教師のこと、俺やりたいなっていうので、みんなで話し合って何をしたかっていうと、家庭教師のビラを作ったんですよね。「家庭教師やります」。で、作戦考えた。他の業者の絶対出来ないこと何かないかな? 一つあったんですよ……時給、無料! タダでやるよって(笑)。これはね、結構、山形市民にインパクト与えたと思う(笑)。タダほど恐いものないから(笑)。自分でもう感じました。それでホントに、街頭でビラ配ってね、時給無料ってビラ見て、「ホントにこれ、やってくれるんですか?」っていう反響でした。で、あの、週一回、三回山形市街に繰り出して、配ったんですよ。で、スーパーとか郵便局とか掲示出来る所ありとあらゆる所に掲示して、であの、大学二年生の七月にビラを見た一報が電話で来たんですよ。嬉しかったですよー、ホントに。その当時、小学校二年生の白鳥エミナちゃんという女の子で、そのお母さんから「ビラを見てお電話差し上げました」って。「近くの喫茶店で会ってくれませんか」って電話があって。僕はサークルの友達と「電話きた、電話きた」喋ってたら、十人くらいの人が「じゃあいっしょに喫茶店に行くべ」って(笑)。いっしょに行ったんですよね。で、僕は聞いてね、お母さんとお父さんと子どもの三人で来て、「なんで僕の方に家庭教師の依頼をしたんですか? 電話したんですか?」って言ったら、「君の熱意に負けた」ってお父さんが話してくれたんですよ。「普通の家庭教師の先生に頼んでも来てくれると思う。だけど、あなたのビラを見て、ここまで勉強を教えたい気持ちのある人がいるんだなっていう、その気持ちに頼みたかったんだ」っていうこと言ってくれて、非常に僕はその言葉に感動して「ああ、嬉しいな」って思いました。で、こういうのは一回くると、次からわんさかわんさかきて、電話鳴りっぱなしで(笑)。で、大学二年生の夏休みなんか、十人の子どもの家庭教師あずかって、十人目きたとき、さすがに出来ないなと思って、断るのも失礼かなと思って、友達なら紹介出来るよってことで、逆に俺が家庭教師斡旋した(笑)……そういう経験もあります。 

 そういう家庭教師の経験。ま、教育実習は必修なのでまず授業やってくれて、あとは適応指導教室っていう不登校の子どもとの関わりもあって、いろんな子どもと関わって、 「子どもと関わっていいんだ。子どもと関わることが楽しいな」っていうのを感じて。そういうバックボーンが経験としてあるので、余計に先生になりたい気持ちを受け止めてくれない方々に対して、こうちょっと、見つける以上のバリアを感じて残念だな、というのを感じました。でも三度目でなぜか知らないけど、教員採用試験に受かりました……やっぱり、あのう、自分の気持ちが、先生になりたい気持ちが、合格、採用ということにつながっだなあと痛感しています。 

 次に毎日の生活なんですが、まず授業のこと。授業は例えばこういう風にやってます (写真)。ま、椅子に座りながら、生徒に図とか板書とか、書けない所を書くのに手伝ってくれたりとかしています。ひとつ気づいたことは、生徒が板書するっていうこと、そういう授業スタイルって、生徒が飽きないっていうか、そういう授業他ないと思います。ある生徒がこういうこと言ったんです。「先生の授業って、俺、数学はよく分らないんだけど、だけは出来るもんな」っていう、そういう感じで。それがいいのかどうか分かんないだけど(笑)、でもそういうので自分が生かせる場が、生徒にとってあれば、それはそれでいいのかなっていう……感じています。で、数学の時間なので、公式とか用語とか前もって分かる部分に関しては、画用紙にパソコンで書いて、それを黒板にペッタンペッタンってこう貼っていく授業をしています。で、あとは生徒に手伝える部分はどんどんどんどん手伝って、生徒といっしょに授業をこれからもやっていきたいなと思っています。 

 ただ、授業に関して言えば、例えばこういうパソコンとか教育機器とかがあるので、自分が出来る部分、準備できる部分っていうのをどんどん準備していきたいなあっていう気はしています。そういう情報ってないんですよね、今まで……例えば数学ってコンパスとか必要でしょ? だけどああいうコンパスって、僕、全然黒板に円を書いたりって難しいんですよ。でも、生徒には「いやコンパスで円を書けなくても数学の先生になれるんだよ。××っておもしろいよね」っていうことを言ってて生徒といっしょに笑ってるんですが、なんというかその、僕も円を黒板に書きたいな、なんとか書けないかなっていう。あとは三角定規の、黒板にも線を引くことが大変なので、そのあたりが自分でも引ける以上のことがもし出来るのであれば、やってみたいな、やって生徒をびっくりさせてやりたいなっていう気持ちでいます。 

 次、生徒のことなんですが、生徒といっしょに肩を借りて(写真)。学校って、あの、段差とかいっぱいあるんです。ちょっと疑問に思うんですが、「学校って公共施設ではないのかな?」っていう気するんです。ただあの、学校は階段がいっぱいあって、障害者にとって使い易い施設なのかなっていう、そういう点で捉えるんであれば非常に遅れてるなっう部分があるんですね。なんていうか、デパートとかこういう施設などは、例えばバリアフリーという観点で見直されてきてるんですが、かたや学校っていう施設はどうなのかな? っていう部分で……ひとつ考えていきたいなって部分です。 

 で、その反面、階段とか生徒がこういう風に肩を貸してくれるんですが、授業のとき、数学係の生徒が授業始まる前に職員室にきて、「先生いっしょに行こう」っていうことで、の授業道具を持って、一人はこういう風に肩を貸してくれていっしょに行ってるんですよ。で、授業始まる前、休み時間にもう教室に入って、今度は教室の生徒といっしょに「宿題やってきたか」とか「おめぇ、なんで今宿題やってんだよ」とか「分かんねぇとこあったら今のうちに聞きにこい」とか「顔色悪いけどなんかあったんだが?」とか。こう、いろんなことで、わずか5分くらいなんですが貴重な時間です。で、生徒にとって休み時間に先生がいるっていうことをどう捉えるのかな、と思っていたんですが、あんまり違和感なく生徒も受け入れてくれているようです。で、授業の鐘が鳴ったら生徒は座って、授業のベルといっしょに授業が始まっているという感じです。そういう風に日常生活は生徒がサポートしてくれます。 

 で、生徒のサポートは僕にとってみると生徒との関わりなんですよ。非常に軽い良い関わりです。例えば男子生徒であれば肩借りることで体つきの成長も感じるんですよね。 「おお、結構×××××きたな」とか「筋肉ついてきたな」。そういうのをこういう場面で話したりすると、非常に生徒は喜んでくれます。あるとき生徒にこう言ったんですよ。今、生って眉毛剃るの流行ってるんですよ(笑)。僕、あのちょっとあれよく分からないんですが、なんかのテレビなのかなっていう、「なんで眉毛剃るんだ?」って思うんだけど、その眉毛剃って生徒指導上ちょっとこう問題の生徒に僕声をかけて、いっしょに肩借して階段昇ろうって言ったんですよ。「いいよ」って言ってくれて、嬉しかったから「キミから肩借りて僕嬉しいよ。初めてキミから肩借りて嬉しいな」って言ったら「先生、二回目だよ」(笑)。そこでもう、生徒ってこういう風にぼくのサポートを捉えているんだな、っていうのを感じてとても嬉しかったです。 

 で、今度一人暮らし、なんですが、赴任校が決まって学区内に住んでみたいなっていう気持ちからアパート探ししました。で、これもやっぱりなんか難しいんですよね。やっぱり意識上のバリアと制度的なバリアを両方感じました。非常にこう……今、実際住んでるんですが、一人暮らし。で、障害者が一人で暮らすっていうこと、それがすべてではないんですが、「暮らしたい」と思ったときに簡単に暮らせる世界を作っていきたいなって思います。 

 今の現状では、僕もそうなんですが、アパートの大家さんの協力っていうか理解っていうか、そういうの「ああ、いいよ」っていう話があって、今住んでるっていう感じです。そこまで大家さんとは二回ぐらい話し合っています。何が一番心配なのかなって思ったら、なんですよ火事。障害者が一人で生活して火事を起こせば大変だって。で、僕はそれはね、ひとつ偏見だなって思うんです。なんで偏見だか? 実際調べたいんだけど、実際、火事の件数を調べてみると、絶対にね、障害者が一人暮らしで火事を起こしている割合と普通の健常者が火事を起こす割合比べたら、絶対健常者が火事を起こす割合の方が高い、と僕は思うんですが、そういうデータなしに、ただ単に「火事を起こしたら大変だや、どうかな」っていうのは、こう、ちょっと納得がいかないかなっていう感じです。 

 あとはホームヘルパーによる支援を受けてます。で、内容はこの通りです(月、木の週2回、AM6:40〜7:40、食事と洗濯掃除)。このままあるんですが、市役所の社会福祉課に行ったら、ホームヘルパーの食事介助が午前の八時以降じゃないと、なんか難しいみたいだったんですよ。八時以降だと……大変、学校、八時十分台ってば通学だあ (笑)。俺なんとせばいいのかなあ。で、二十四時間ホームヘルパーサービスどかって、一応題目あるじゃないですか。あれ見て「ああ、いいのかな」と思って。それで「二十四時間」っていうのは、衣服の着脱とか寝返りとかそういうので二十四時間待遇っていうこと。を作るサービスは八時以降でないとダメだっていう話で、「それも、いやー困るなあ」と思って。で、市役所の人に頭を下げて、今、六時四十分ぐらい一時間やってくれてます。やっぱり、一年ちょい、一年ぐらいヘルパーさんと関わって、ふれあいが楽しいなっていう風に感じています。来る人は僕の母さんと同じ年齢の人で、女性の方です。よく世間話とかしたいなと思ってるんですが、なにぶん朝の時間なので準備に追われています(笑)。で、ま、何事も体験することで学んでいくんだなということで、まあこれも、生徒がたにも体験をしなさいと話しています。



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