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2005/12/15 掲載 「生徒へ自筆コメント−ありのまま下手な字も個性−朝日新聞秋田版朝刊」

 今から5年前、秋田市立下北手中で講師をしていたときのこと、先輩の先生が「生徒のプリントやノートに、コメントを書いた方がいいよ」とアドバイスをしてくれました。細かな字を書くことが苦手の僕は、「生徒のノートやプリントを僕の字で汚したくない」と考えていました。だから、「見た」という確認の意味のハンコを押して、ノートやプリントを返していました。決していい加減にハンコを押していたわけではなく、しっかりと生徒が書いた「自己評価カード」を読んだ上でハンコを押していました。「自己評価カード」とは授業の理解度をつかむため、生徒に感想などを書かせているカードです。 

 しかし、最初は2、3行感想を書いていた生徒がほとんど書き込まなくなりました。先輩の先生に、どうして書かなくなったのか、相談しました。先輩は「きっと、ハンコだけ押しているからだろう。生徒は返されたノートに何も書いていないとガッカリする。君は字を書くことが大変だと思うけれど、一言でもいいから、生徒へコメントを書いた方がよいと思うよ」。 

 僕は左手に鉛筆を持ち、字を書きます。書くことはできますが、他人が読める字を書けているのかどうか、自信がありません。文章はパソコンを使います。提出書類などは、パソコンで書式を作成して書きます。それ以外は主に母に代筆をしてもらっています。 

 生徒へコメントを書こうと考えたとき、最初はパソコンで書いたものをノートやプリントに張ろうと考えました。しかし、切り張りする際に人のサポートが必要で、現実的ではないと判断。結局自筆にしました。 

 今でも、初めて生徒のノートに赤ペンでコメントを書いたときのことを覚えています。左手が震えました。うまく書こうと思えば思うほど、左肩が緊張して、不随意運動が激しくなりました。 

 「いいぞ」「よし」「good」「OK」…一言ずつコメントを書き添えました。この一言のコメントを30人の生徒に書くために、30分くらいかかりました。ハンコだけよりも、5倍の時間がかかりました。 

 生徒一人ひとりに初めてコメントを書いたノートを、いつものように返しました。すると、生徒はノートを開き、友だち同士で「何て書いてあるの?」と確認し合っていました。僕の字があまりにもひどかったようで、「先生、これ何て書いたの?」と聞きに来ました。「『いいぞ』と書いたんだ。ごめんね。読めなくて」と答えると、「私の方こそ、先生の字が読めなくてごめんなさい」と生徒が言いました。この日から、赤ペンでコメントを書くようになりました。 

 あれから5年。最近はうまく書こうと気負わず、ありのままの字を書いています。時々、「先生、この字は何て読むの?」と質問を受けることがあります。「先生の字は決してうまくはないけど、下手でもないね。個性的な字だね」と言ってくれる生徒もいます。 

 今年の教育界は「ゆとり教育」と「脱ゆとり教育」の間で揺れました。この動きは来年も続きそうですが、自分の教育方針を見失わないよう生徒とかかわっていきたいと思っています。



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